156回例会|日本穀物科学研究会ホームページ

日本穀物科学研究会
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<第156回例会>
シンポジウム『欧州のパン、日本のパンおよびクリスマスケーキの仕込、焼成から食味テストに至るまでの講習会』
日時 2013年12月6日(金) 13:30〜17:00
場所 大阪あべの エコール辻大阪 B棟5階651教室
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「欧州(ドイツを中心とした国々)のパン、日本のパン」
B・F・Fベーカリーコンサルタント(元日清製粉叶サ粉開発部 主幹)
笠原 明 氏
叶_戸屋 関東企画開発部 部長
河上 洋一 氏
日本でドイツのパンと言えば「固い・酸っぱい・重い」と思われていますが、それは100%正しい答えではありません。ドイツは世界で一番、パンの種類の豊富さを誇っており、その数はパン(大型)で300種・その他の小型パンや菓子パン(小型)では1200種近くあります。また「パンの年間消費量」も減少傾向にあるとはいえ年間一人あたり80kgで世界一です。
ここ数年、日本では生活習慣病やメタボリックシンドローム対策として健康志向に焦点を当てた「雑穀パン」、「全粒粉やライ麦を使用したパン」が伸び、注目を集めています。今回の日本穀物科学研究会第156回例会においてドイツを中心に、その原点を再確認し最新情報を発信することで、何か新しい角度からの広がりが期待できるのではないか・・・とアプローチしました。

■ドイツ連邦共和国
人口:8,300万人、 言語:ドイツ語「ドイツ語圏人口1億人」、 終戦:1945年5月7日
ベルリンの壁倒壊1989年11月9日、東西ドイツ再統一1990年10月3日
新しい州の誕生 旧東側「新連邦州」1990年7月22日(ブランデンブルク、メクレイブルク、ザクセン、アンハルト、デューリンゲン合わせ16州)
EUの通貨統合(ユーロ)の導入2002年1月1日

【旧東西の生活状況】
  統一後平均貨幣資産   旧東は西の1/5  現在は1/2
  実世帯収入       旧東は旧西の80〜85%「平均的生活レベルは変わらない」
  年金収入        旧西より旧東の方がやや多い40ユーロ〜190ユーロ
  失業率         旧東は14.5% 旧西は7.8% (2007年)

【産業】
  国内総生産:日本に次ぎ4位、輸出:中国に次ぎ2位(日本は4位)、国際競争力:7位<日本8位(2010年)>
  見本市:世界NO.1 2/3はドイツで開催(展示会場:150)、就労時間(週平均):男38時間 女28時間
◆小麦生産高推移:1949年247万t(農産物全体の10.9%)⇒2013年2,280万トン(農産物全体の25%超)
◆ライ麦生産高推移:1949年331万t(農産物全体の16.9%)⇒2013年250万トン(農産物全体の5%)

【パンの変遷】
価格統一時代、 価格自由化、 ライ麦パンの種類「写真紹介」、 小麦パンの種類「写真紹介」、
最近の注目パン「写真紹介」、 トレンド「写真紹介」、 スーパーマーケット「写真紹介」、 料理「写真紹介」
  *パン生産高推移  *パン消費量推移  *パン消費金額  *ドイツ近隣諸国のパン「写真紹介」等
          
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「クリスマスケーキ講習会」
エコール辻大阪 辻製パンマスターカレッジ 教授
吉野 精一 氏
第一部(講演):誉れ高きクリスマスケーキ(ヨーロッパ編)        
          <伝統クリスマスケーキは醗酵菓子/焼き菓子>
今日の日本ではクリスマス時期に入ると、洋菓子店でクリスマスケーキがところ狭しと陳列されます。それらの多くはクリーム、チョコレートやフルーツ類などを使用したものが主流で、洋菓子の不二家(1910〜)由来の日本流クリスマスケーキ(スポンジケーキに生クリームやフルーツ類をトッピングしたもの)やビュッシュ・ド・ノエル(薪の形を模したフランスの伝統クリスマスケーキ)などが代表的と言えましょう。また、最近ではドイツのクリストシュトーレンやイタリアのパネトーネなど、クリスマス向けの発酵菓子や焼き菓子もベーカリーの棚を賑わすようになりました。考えてみれば、日本のベーカリー市場はヨーロッパのクリスマスケーキで溢れかえっています。
今回はヨーロッパでも「パン・菓子処」と名だたる国々の歴史と伝統に培われたクリスマスケーキに注目しました。するとそれらの多くが現在においても、発酵菓子や焼き菓子であることに気づきます。ここではそれらの特徴や生い立ちについて話を進めてみましょう。

<パネットーネ(Panettone):イタリア>
ミラノ生まれのイタリアの伝統的なクリスマス用の祭事菓子。砂糖、卵、バターたっぷりのリッチな生地にレーズンなどのドライフルーツ練り込んで焼き上げたドーム型のパン菓子です。伝統的なものは、この地方特有の土着酵母で起こしたパネットーネ種をもとに作ります。
【パネットーネの発祥】
イタリアで生まれたパネットーネの起源は非常に古く、その発祥についてはいくつかの説がある。イタリアでは、各地方によって少しずつ配合や形の異なったパネットーネが古くから存在する。現在日本で知られているパネットーネは、円筒形やドーム状になっており、バターや卵、ドライフルーツや香料などがたくさんはいったものが一般的である。このようなパネットーネはミラノが発祥といわれている。ある説によると、ミラノに住む貧しいパン屋の息子トーニが、ある娘と恋におち、それがきっかけとなって生まれたという。二人には、身分の違いから生まれてくる様々な障害があったのだが、トーニはそれを乗り越えようと努力した。その結果パン・グランデ(Pan grande:卵やバターをたっぷりと使用しドライフルーツなどを練り込んだもの)を開発した。やがてこのパンを買いにミラノの裕福な貴婦人たちが殺到し、後にパン・ディ・トーニ(Pan di Toni)と知られるようになったのである。そこからパネットーネ(Panettone)と転訛したのではとないかと考えられる。
その他に、パネットーネという言葉はおそらく方言でパネット(Panetto)の拡大辞からきているという説もある。生地を作る段階において何回も発酵させるパネットは、非常に大きなものとなるので、これはもっともな説であろう。
これらのいくつかの説がある中でパネットーネは、いつしかクリスマスやお祝い事の際に用いられることが多くなっていった。そして、クリスマス菓子や、贈り物としてミラノだけでなく、イタリア全土から近隣諸国にまで広まっていったのである。また、他にもイタリアにはパネットーネと同様にクリスマスやお祝い事に食べられることが多い発酵菓子がいくつかある。パンドーロ(黄金のパン)やマンドルラート、ファヴェッテ、または、キリストの復活を祝う復活祭の日に食べるコロンバやフガッセなどがそうである。
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<シュトーレン(Stollen)>
正式にはクリストシュトーレン(Christstollen)と呼ばれる、クリスマスを祝うドイツの祭事菓子です。バターや卵をたっぷりと使った発酵生地にドライフルーツやナッツ類をふんだんに練り込んだ生地をじっくりと焼き込みます。仕上げは溶かしバターを塗り、グラニュー糖をしっかりまぶしてから粉糖でお化粧します。
クリストシュトーレンの登場は11月11日の「ザンクト・マルティンスターク(聖マルティン祭)」が終わってからとなります。それまでに秋の飾りつけを取り払い、徐々にクリスマスの装飾に変わっていきます。そのため、パン・菓子店がシュトレーンの販売をはじめるのは、早い店で11月中旬、一般的には11月末からの約4週間、待降節(アトヴェント)の期間が中心となります。その頃になると「そろそろ・・・」といった感じでなんとなく食べ始められます。特にどの日に食べなければならないというきまりはなく、その頻度も消費量も、地域や家庭によってさまざまです。通常のパン・菓子と異なりシュトーレンは非日常的かつ季節感のある高価なお菓子です。いわゆる日本でいうところのお歳暮!でしょうか?12月に入ると友人や仕事関係の知人によくプレゼントされるようで、中には手作りのシュトーレンを焼いて贈り物にする人たちも多いと聞きます。
【シュトーレンの歴史】
シュトーレンの歴史は、中世まで遡る。ドイツのウルムにあるパン博物館の元館長、イレーネ・クラウス女史の著書に『すばらしきパン・菓子の年代記』(タイトルは筆者訳)があるが、その中でシュトーレンについて言及されている。シュトーレンが最初に文献に現れるのは、1329年にザーレ川沿いの街ナウムブルグの司教ハインリッヒに、クリスマスの贈り物として「シュトーレンという名の細長い小麦パン」が献上されたという記述であるという。当時はカトリックの教義において、クリスマス前のアトヴェント(待降節/降臨節)の期間中、パンやお菓子にバター、牛乳、卵などの使用を禁じていたので、小麦粉、酵母、水のみで作られていた。1474年にはドレスデンの聖バルトロメーウス病院の請求書に「キリストのパン」の名でシュトーレンらしきものが登場するが、これは復活祭の大斎期の精進用の焼き菓子として発注されたものである。この焼き菓子にバターが使われていたかどうかは定かではないが、菓子の表面に白い粉糖のようなものが振りかけられていたとされる。またキリスト教の「節制・精進」について書かれた別の資料には「中世の頃には節制の規律は非常にきびしかったが、1486年に教皇イノケンティウス8世が、精進期間においても乳製品の摂取を許可した」とある。その後、1491年には、同教皇は「ブッターブリーフ(バター許可書)」として有名な書簡を発布し、領主のザクセン公に対し、フライベルグ大聖堂の建設費用の負担を条件に精進期間のパン・菓子にもバターを入れることを許可したので、この頃からシュトーレンにもおそらくバターが使われるようになったのではないだろうか。1500年代に入ると、ドレスデンでは「クリスマスのキリストのパン」としてドイツ最古のクリスマスマーケット、「シュトリーツェルマルクト」でシュトーレンが販売されていた。1560年以降は毎年クリスマスに8人のマイスター(親方)と8人の職人が十数キロもある「ヴァイナハツ(クリスマス)シュトーレン」を領主、ザクセン公に献納しており、一説によるとこの習慣は1913年まで続けられたとある。1730年にはザクセン選帝侯、アウグスト王が軍事パレードの宴のために、重さ1.8トンのシュトーレンをドレスデンのパン組合に注文する。組合長ツァイトハイナー以下、約百人のマイスターと職人が1週間がかりで製作し、1.6メートルものナイフで客の前で切り分けられたとか。歴史的にみると、このときのシュトーレンが現在のシュトーレンの原型となり、その後、宮廷の菓子職人ハインリッヒ・ドラスドがドライフルーツやナッツなどを生地に加えることで、今日知られるようなより豊かなクリスマスの祝い菓子にしたとされている。
【アトヴェント】
クリスマス前の待降節の期間のこと。宗派によって多少時期がずれるが、基本的にはクリスマス・イブの直近の日曜日から遡って4週前の日曜にはじまる。第一主日に最初のアトヴェント・クランツ(リース)にろうそくを灯し、一週ごとにろうそくを一本づつ増やしていく。ドレスデンでは第二アトヴェント前日にシュトーレンフェスト(シュトーレン祭)が開かれ、約3トンの巨大なシュトーレンが焼いて祝われる。
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<クリスマスプディング(Christmas pudding):イギリス>
なぜか?日本のクリスマス市場には出回らない、取り残されたクリスマスケーキ!
クリスマスプディングまたはプラムプディングと呼ばれる、イギリスの伝統的な発酵焼き菓子。今で言うところのバター生地にミンスミート(ドライフルーツやナッツ類)を練りこんだ後、2〜3日発酵させます。その生地を焼き型に流し込んだ後、数時間かけて蒸し焼きにした大型のお菓子で焼き上げてから3~4週間発酵させるのも特徴の一つです。通常は12月25日のクリスマスディナーのデザートとして、ホールケーキの上に柊の実と葉を飾り、その上から独特のブランデーソースをかけてフランベし、一人分ずつに切り分けていただきます。
【クリスマスプディングの歴史】
クリスマスプディングの歴史は中世まで遡るが、清教徒時代にクロムウェルがクリスマスの祝い事を禁止したので、それまでクリスマスの食事の伝統的な菓子のミンスパイも作られなくなった。17世紀後半に王政復古後、ミンスパイは、イギリスのクリスマスの食卓にミンスミートを詰めた小さい円形のパイという形で戻ってきたが、肉なしでフルーツだけが使われた。ビクトリア王朝の頃にこれがクリスマスプディングの原形となる。そして19世紀中頃にビクトリア女王がクリスマスプディングを英国王室のデザートに採用して以降、イギリス国民のクリスマスに欠かせないデザートとして定着した。
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第二部(実演):クリスマスプディング(イギリス)
          <取り残されたクリスマスケーキ>

  実演:クリスマスプディングの仕込から焼成まで(技術詳論)
  試食:カットしたケーキに独特のブランデーソースをかけて召し上がっていただきます。
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